カトリックとプロテスタントってどう違うの? どうやったらクリスチャンになるの? 

キリスト教に関する素朴な質問から鋭い突っ込みまで、ギャロット牧師に聞いてみました。

ご質問のある方は、church@shinsei.org までメールください。


【キリスト教全般について】
カトリックとプロテスタントって、どう違うの
これについて述べると本を書けますが、目立つところに触れましょう。まず、組織が違います。カトリックはピラミッド型で、頂点はローマ法王です。プロテスタントは組織はさまざまですが、いずれも法王に従っていません。次に目立つのは聖母マリアのことです。プロテスタントはマリアを尊敬しますが、マリア像を飾らないし、マリアに祈りません。カトリックは、時にはマリア宗教と思うほどマリアを重視します。三つ目の分かりやすい違いは、カトリック神父やシスターは結婚できませんが、プロテスタント牧師はできます


キリストは、何人だったんですか
イエスさま(「キリスト」は肩書きです。意味は「救世主」)はユダヤ人でした


イスラム教とキリスト教は同じ神さまをあがめていると聞いたことがあります
アラブ語で「神」は「アラー」です。文字で書くと、イスラム教とキリスト教は同じ方を拝んでいるように見えますが、ちょっと探れば違いは著しいです。イスラム教の神は「復讐の神」と言うべき存在ですが、聖書にはっきりと「神は愛です」と書いています。それだけではないですが、根本的に違うと言うべきです。イスラム教からキリスト教に改心したある方はこう言いました。「イスラム教のでは、神さまを「天のお父さま」と呼ぶことはまったく想像できないことです」


どんなにいい人でも、キリストを信じていない人は地獄に行くんですか
聖書から二つ引用して答えたいと思います。まず、ヨハネの福音書14書6節「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」

もう一つはローマ人への手紙2書12〜16節。
「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。……律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。……私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです」

基本的に、人間は神さまに認められるほどに自分を磨く事ができない。だからこそ、神さまは人間の罪を取り消すために御子イエス・キリストを地上に遣わし、十字架上で死なせたのです。イエス・キリスト以外には救いはありません。しかし、旧約聖書時代の信徒たちも、まだ生まれていなかったイエスさまによって救われたのです。イエスさまの事をまったく聞く機会のない方々は自分の良心によって裁かれます。最終的に神さまに任せなければなりませんが、こんな質問をするほど自分のことを分かっている人には言い訳はありません、ね


キリスト教にはどんな種類があるのですか。いろんな名前の教団・教会があり、よくわかりません
まず、キリストの名前を使っていても本当のキリスト教でない三つの団体を紹介しましょう。それはエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教、統一協会(世界基督教統一神霊協会)です。彼らはイエス・キリストを歪曲しています。エホバの証人は、イエスさまは神さまではなく被造物であったとします。モルモン教は、イエスさまとサタン(悪魔)は兄弟であり、それ以外にもさまざまな歪曲された教えがあります。統一協会は、文鮮明がキリストであると教えています。

本当のキリスト教は、イエス・キリストは天地創造以前から存在する神さまであり、乙女マリアに宿り、赤ちゃんとしてこの地上に現れたと信じます。従って、イエスさまは神さまでありながら、人間になりました。その両方の立場で、人間の罪の刑罰を十字架上で負いました。そして、3日目に蘇ったのです。それを信じるのがキリスト教です。

そのキリスト教の枠の中に、大きく分けるとカトリックとプロテスタントがあります(ギリシャ正教会、ロシア正教会もありますが、日本ではかなりマイナーな存在です)。プロテスタントの中にはかなり多くの組織、団体があります。それぞれに味、個性がありますが、役割もさまざまですのでそれは当然でしょう。中心になっているのは、キリストに対する理解、信仰です



キリスト教徒以外の人も教会に行ってよいのですか
もちろん! キリスト教会は内輪だけのクラブではなくて、一人でも多くの方が加わる事を願う神さまの家族です


洗礼って何? どうすれば洗礼を受けられますか
洗礼は聖書で「バプテスマ」と記されています。ギリシャ語で、「丸洗い」という意味です。聖書の説明によると、バプテスマに二つの大きな意味があります。一つは、今までの罪を悔い改めて、キリストに従う決心の印です。もう一つは、古い自分がキリストと共に水の下に葬られ、キリストと共に蘇るイメージです。バプテスマを受ける資格は単純です。イエス・キリストがあなたの罪のために十字架にかけられ、あなたの刑罰を追って死なれ、あなたの救いのために3日目に蘇ったことを信じる事です


牧師になるには? 神学校ってどんな所
最初に、また最も大事なのは、神さまからの招命と賜物。それがないと全く無理です。神さまからの任命と共に、教会の任命も必要です。その人の賜物や成熟度を見て、「私たちの牧師になって下さい」と言うことが必要です。残念ながら、あこがれなどの理由で牧師になる人もいます。ある教派では、ほとんど学歴のみで牧師の肩書きを与えます。大変な結果になります。学問が悪いと言う訳ではありませんが、それで牧師のよさが決まるわけではありません。初代教会の牧師たちは、ほとんど学校に行っていませんでした。現在のようなクリスチャンの神学校は何百年も経ってからできました。

神学校って何でしょう。牧師の使命を感じる人はほとんど、神学校で学びます。神学校に3通りあります。一つは、大学を卒業してから入る、大学院レベルの学校です。もう一つは、普通の大学や短大のように、高校を卒業して入るもの。三つ目は、学歴に関係なく入れるが、その卒業(修了)証書は軽い。もちろん、各学校に神学的な偏りがあるので、選ぶのに苦労することがよくあります。また、特に三つ目の学校には、質にばらつきがあります


【クリスチャンについて】
どの時点で「自分はクリスチャンになった」と言えるのでしょうか
クリスチャンになるのは単純な“取り引き”です。心からイエスさまに「主よ、私の代わりに死んでくださって、ありがとうございました。私を赦して、清めて、救ってください」と祈る瞬間、クリスチャンになります。ほとんどの人には、悪魔が「うそだったでしょう」とささやきます。そんな偽りに耳を貸さないで! クリスチャンらしく行動するのには時間がかかるかもしれないですが、クリスチャンになるのはその決心の瞬間です


クリスチャンに禁じられていることは何ですか
より良い質問は、「クリスチャンは何をできますか」。クリスチャンは毎日神さまの平安と喜びのただ中に生きる事ができます。クリスチャンに聖霊さまがいます。聖書には「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」と書いています。しかし、そんな生活を生きるために、聖霊を悲しませることをやめなければなりません。偽り、不道徳、傲慢、野心、憎しみ、そんなことは聖霊を悲しませます。合理的に考えると、聖霊さまを喜ばしたい、ね!


クリスチャンになったら、仏壇や墓参りはどうすればいいのでしょう
これは確かにクリスチャンにとって大きな問題です。先祖を尊敬するのは悪くないが、神さま以外に何も拝んだらいけません。墓周りの掃除などは問題ないですが、焼香は避けなければなりません。家族に説明をするのは難しいですが、同時に証詞するチャンスです。死に対する考えとキリストにある望みを伝える事ができます。あなたが世帯主であれば、仏壇をなくすべきです。世帯主でなかったら、強引にはできませんが、先祖を拝むのは偶像礼拝です。法事などに参加したらいけないと言いませんが、手を合わせたり、焼香すれば神さまに栄光を帰すことができません


クリスチャンになることを家族や恋人にどのように打ち明ければ良いですか
不安だと思いますが、伝道の大きなチャンスです。まず、自分の決心を紙に書くことは有用です(バプテスマの際と、時には信仰告白に使えます)。そうすると、自分の考えを整理できます。もちろん、そうする前にも、後にも祈ることが大切です。聖霊の助けが必要です! そして、神さまのタイミングを見計る。時には、神さまが「今だ」とはっきり示してくださいますが、時にはそれがありません。明確なタイミングの導きがなければ、二つの助言があります。まず、あまり延期しない方が良い。延期するほど、難しくなる場合があります。もう一つのポイントは、食前より食後の方が、感情が穏やかです


クリスチャンはタバコや酒などの嗜好品は禁じられてるの
聖書には「私たちの体は神さまの神殿である」と書いています(第1コリント6章19節)。体に良くない事は、神さまの神殿に害を与えます(食べ過ぎと運動不足も良くない、ね!)。タバコのことは聖書に書いていない(アメリカ大陸原産ですから)ですが、酒についてはいろいろ書いています。エペソ5章18節には「酒に酔うな。それは放蕩(欲望に対し極端に堕落した状態)につながる」と書かれています。しかし第一テモテ5章23節には「少しワインを飲むのは胃のためです」と書かれています。詩篇104編15節には「人の心を嬉しくするワイン」を造ったのは神さまと書かれています。しかし箴言20章1節には「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない」とあります。

箴言23、31章、イザヤ書28章にはワインとビールは正しい判断を出来なくさせると書かれてあります。ローマ14章16〜23節には、キリストにある兄弟姉妹をつまずかせない責任があるとあります。誰かに飲むように勧めて、その人がその部分に弱さがある場合、その人に起こることの責任を、神さまは私たちに問います


【クリスチャンからの質問】
キリストにある勝利の生活を送るにはどのように過ごせばよいですか
聖書には「信仰は勝利です」と「信仰から出ていないことはみな罪です」と書いています(第1ヨハネ5章4節、ローマ14章23節)。もちろん、信仰は欠かせません! それに、神さまからの武具があります(エペソ6章10〜18節)。分かりやすい、実用的な助言を言うと、誘惑を避けることが賢いです。神さまは、私たちが耐え切れない誘惑に会わないと約束しています(第1コリント10章13節)。「そこに行けば誘惑される」と分かれば、行かないで! 勝利の信仰生活と具体的なポイントはエペソ4章17節〜5章21節にあります→読みたい方はこちら


私たちはどうやって罪に打ち勝てばいいのでしょう
上の答えを見てください。そして、忘れてはいけないのは、第1ヨハネ1章9節です。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」


クリスチャン人生にとってのゴールは何であるべきか
ゴールはいろんな角度から考えられます。最終的に、私たちのゴールは神さまの王座の前に立って「よくやった。良い忠実なしもべだ」と聞く事です。しかし、それが日常生活からほど遠いことと感じる場合もあります。ある伝統的信仰告白には「神を愛し、永遠に神を楽しむ」と書いています。単純に言うと、イエスさまに似てくる事とも言えます。御霊の実を結び(ガラテヤ5章22,23節)、キリストに留まる事(ヨハネ15章4節)。ゴールを目指しましょう(ピリピ3章:12〜14節)!


神の言葉を聞くとき、聖霊から示されたことか、聖書によるものか、どちらが究極か
忘れたらいけないのは、聖霊さまは聖書の作者です。聖書に反することは語りません。悪霊も、私たちにささやきます。聖霊さまの声に慣れると、偽りの声に気付きやすくなりますが、油断するのは危険です。聖霊さまの声に慣れるためには、聖書を読めばいいです。聖書に現代の具体的なことは書いていませんが、原則、基本理念は変わりませんので、聖書になじんでいると今日のための導きが分かりやすくなります





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