歳の長女を幼稚園まで送るのは、(太)の日課だ。幼稚園まで歩いて10分。1歳半の長男のベビーカーを押し、娘の手を引き、えっちらおっちら。


 (太)はあまり教育にうるさい方ではないが、一つだけ娘に課している。道すがら出会う人、幼稚園の先生や友だちに、あいさつすることだ。もちろん、自分も率先して手本を示している――つもりだ。


 幼稚園で(太)が「こんにちは」と声をかけると、きちんと返してくれる子もいれば、恥ずかしがる子、反応のない子もいる。そうすることで親の姿がぼんやり見える。しっかりした親御さんなんだろうな、等々。


 
たちクリスチャンは神の子。人々は親――天の父なる神を直接見ることはできないが、子どもである私たちの人柄や行動を通じて、間接的に見ることはできる。だからせいぜい、日々の生活を通じて神の栄光を表したいと思う。


 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます」(Uコリント3:18)


 と聖書にもあるではないか。


 「おっはよーございまーす!」。娘のあいさつは、元気いっぱい。すれ違う人たちも微笑みながら、あいさつを返してくれる。(太)はどんな親に見られているだろう。


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