キリスト教は、カトリックとプロテスタントに分かれる。プロテスタントはさらに福音派と聖霊派に大別される。それぞれの教派の中にはさらに、何とか教団とか、またいろいろグループがある。新生の里キリスト教会のように、どのグループにも属さない“インディーズ系”は「単立」という。
転勤属の(太)は10年ほど福音派の教会を転々とした。今は神の導きによって聖霊派。両派を分けるものは「聖霊」に対する考え方の違いというのが、(太)の見方だ。
福音派の代表的な牧師の著書を読むと、聖霊の働きやそれに伴う数々の奇跡に対してもの凄く慎重だ。(太)が「異言を伴う聖霊のバプテスマを受けた」という話を福音派の人に話したら、半数の人が怖がった。以来、この手の話には随分慎重になった。
同じキリスト教なのに、どうしてこんなに違いがあるのだろう。考えていると、こんなイメージが浮かんだ。

日本の代表的な川魚に「ヤマメ」(山女)という魚がいる。姿が美しいので「渓流の女王」とも言う。ヤマメの中にはシャケのように海に出てサクラマスになるものもいれば、川で一生を終えるのもいる。
ある時、海から産卵のために帰ってきたサクラマスが、かつて同じ群れだったヤマメに合いました。
「いやー、海ってなぁ、めっちゃ広くて、いろんなプランクトンがおって、最高やったで。まあ、その分、危険もいっぱいやけどな!」
興奮するサクラマスですが、海を知らないヤマメには伝わりません。言えば言うほど、誤解が募って逆効果。「ヤバいんちゃう、コイツ。海に出ておかしくなったんちゃうか?」。ヤマメは心配です。

(太)は聖霊のバプテスマを受けてから、海に出たような開放感を味わっている。川にはない沢山のプランクトン(恵み)も味わった。その分、サメや漁師(サタン)に食われる危険性だって増えたかもしれない。
しかし川魚と海魚、どっちがいい悪い、上等下等という議論には意味がない。清流で一生を過ごすのも、川から海に出るのも、一つの生き方だ。
川魚も海魚も、養っているのは同じ水(神さま)。海の水が蒸発して雲になり、それが山に雨を降らせて川になり、海へ流れつく。カトリックもプロテスタントも、福音派も聖霊派も、神さまが作ったそんな大きなサイクルの中で生かされている。そしてヤマメ同士、サクラマス同士、サバ同士、タイ同士で集まった結果が、何とか教団が無数にできた。
こう考えて、自分で妙に納得した(太)だった。
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